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昭和のど根性は無駄ではない。

木村 政彦は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。「鬼の木村」の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。



木村
https://youtu.be/pCysB27muto?si=bPzvObu71XYDbWZS


多分、本当に強かったんでしょうね。




出生地: 熊本県 熊本市
生年月日: 1917年9月10日
死亡日: 1993年4月18日, 東京都
身長: 170 cm
体重: 84 kg
出身校: 拓殖大学



驚くべきは木村の練習量だ。

その激しさから、様々な逸話定評があるらしい。

元々木村は他の選手の倍の6時間から7時間練習していたが、絶対に勝利するために辿り着いた結論が「3倍努力」であるという。

拓大に入ってからの木村の練習量は10時間を超えた。拓大での稽古だけではなく、他大学や警視庁、皇宮警察などを回って乱取り稽古をしていたという。


乱取り(スパーリング)だけで毎日百本をこなし。その後バーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右千回ずつ。

夜になると、師の牛島にならい大木に帯を巻いて一日1000回打ち込みをし、遂にはその大木を一本枯らしてしまった。


打ち込みを繰り返すうちに木村の背中の皮は擦り剥けては治るの繰り返しで踵のように分厚くなったという。「寝ている時は練習をしていない」と考え、睡眠時間を3時間にし、しかも睡眠中にもイメージトレーニングをしていた。


剛柔流空手と松濤館空手の道場にも通い打撃技を習っていた。
特に剛柔流空手においては、師範代を務めるほどの腕だった。

戦後は米兵のヘビー級ボクサーとスパーリング中心の練習をこなしてボクシング習得にも挑戦した。


(Wikipediaから)





柔道というか強さの鍛練ですね。


また切腹を覚悟して試合をしていたというのだから

まさに命懸け 



今なら確実に批判されますが、その覚悟と信念は令和の人達も見習うところはあるかもしれません。


科学的な根拠や効率、非効率の世界ではない
精神論、根性論 

自分でやるには精神が鍛えられてよいと思いますが、そうは時代がいかないんでしょうね。