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徹子の部屋での吉田鋼太郎の発言がニュースになる。

吉田鋼太郎(62)が話題だ!!


なぜだ?

それは令和3年7月7日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演していろいろと語ったからだ。


今宵は日本は七夕です。
風流な日にぴったりなゲストは吉田鋼太郎氏です。


吉田鋼太郎
他界した母について語る一幕があった。


吉田鋼太郎は母親が厳しかったと語り
 「肘をついてご飯を食べたりすると、すぐにパーンって手が飛んでくるような」厳しい母だったという。


吉田は「後になってみれば、色んなことを教えてくれて教育してくれて、外で恥かかないようにってことを教えてくれて。それは本当に感謝してますね

」としみじみ話した。


渋い。62歳でないと語れない言葉の重みだ。



 また、母は出演する舞台を必ず見に来てくれていたというが「あなた最近テレビに出始めてるけど、舞台でしょ、あなたの仕事は」とテレビ出演には怒っていたという。

テレビ出演に怒っていたー と聞くと「チャラチャラするんじゃない!」と怒っていたのかな?と思ったが

何と舞台の人間なんだから拘れ!的な怒りだづたとは、、



吉田鋼太郎
「こっちはてっきり喜んでくれるんじゃないかと思ったんですけど、そうじゃなかったんですよ」。しかし、母が亡くなった後に「(出演するテレビ番組を)必ず見てた」と知ったという。「そのことを母の友人の方から聞いたんですけど、『ホントに喜んでたのよ』って」と感慨深く回顧していた。


懐かしくも暖かい気持ちになる語りだった。

吉田鋼太郎の母親は口では怒っていたが、実際は喜んでいたという。
この昭和の感覚は懐かしくも暖かい。
ほっこりする




また別のエピソードといえば吉田鋼太郎が女子高校生から言われた忘れられない一言を明かした。

吉田鋼太郎は女子高生に何と言われたのか?

Jkが吉田鋼太郎に言いそうな事といえば「まじ、吉田鋼太郎うける」とかか?


いや違う。

 18歳の時、大学のサークルに入り芝居を始めた吉田。「30歳過ぎてからですかね、芝居で食べれるようになったのは」と語り、それまではホテルの宴会場の「誰々を祝う会みたいな看板をつるバイト」をしていたという。

 

 また、吉田は当時の「忘れられない女子高校生からの一言」があるといい「22歳の頃ですから、もう40年前の話なんですけども、ある公演で僕が滑舌がいい俳優で有名だったんですよ」と回顧。


あれれ?

女子高生って吉田鋼太郎が22歳の頃の話しかよ😁


それはJKではなくて女学生ですね!




吉田鋼太郎は「自信持ってやってたら、その公演が終わった後に鑑賞会のその人たちの集まりがありまして、『吉田さんのセリフ何言ってるか全くわかりませんでした』まあ、びっくりしたしへこみましたね、それは」。


女子高生に言われたという。

 当時を振り返り「人様の心に伝わっていないセリフを言ってたんですね。そういうことやっちゃいけないとあれから肝に銘じております」としみじみ語った


思えば吉田鋼太郎は30歳から稼げていた

というが、、ブレイクしたのはここ最近の気がしますね。

平成終盤

吉田鋼太郎が、50代になってからでしょうかね。



そんな貫禄たっぷり、経験豊富な吉田鋼太郎黒柳徹子さんの前では大後輩ですからね。


凄い人だよ

黒柳徹子は。