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カリスマ美容師のパイオニア坂巻哲也さん逝く

カリスマ美容師ブームをけん引した一人であり、名門サロンapishの創業者で代表の坂巻哲也氏が、2024年3月29日に逝去した。享年62。

カリスマという言葉が流行ってから、もはや四半世紀程経つのではないか?

カリスマ美容師
カリスマショップ店員
カリスマギャル、、


ポイントとなるのは、まだSNSのなかった時代に一般人に脚光が当たった事だ。


これは凄い事だった。

芸能人になるのはハードルが高い、、しかし、一般人でもカリスマがあれば注目される!!

そんな時代の幕開けでもあった。



雑誌、テレビ、口コミなどでカリスマ達は知名度をあげ、もてはやされた。

多くの人がこぞってカリスマを目指した。


そのパイオニアの一人でもある坂巻哲也さんがなくなったのは悲しいことですし、一時代の終わりとも言えよう。


坂巻哲也さんはどのように注目され、どのように感じ、どのように生き、62年という早すぎる生涯を終えたのか?


坂巻哲也さんの最期とは?


どうやら、スタッフに見守られ永眠したようです。


apishは4月7日に訃報を発表し、「かねてより病気療養中でございましたが、スタッフに見守られながら安らかに永眠いたしました」と伝えた。

つまり、坂巻哲也さんの死因は病気によるものだと思われます。
孤独で逝くのではなく見守られながら永眠するというのは坂巻哲也さんの人柄が滲み出ていますね。


孤独でひっそりと亡くなる方がどれほど多い事か、、



そしてapishスタッフのメッセージは以下のようた。

ーーーーー

坂巻は生前
もう一度現場に戻って
お客様を担当させていただきたいと
強く思っており
その思いを最後まで諦める事なく
精一杯生き抜きました

今後は坂巻の 意思 技術 を継承した
スタッフがapishを守って参りますので
変わらずのご愛顧を宜しくお願い申し上げます

ーーーーー
とメッセージを発表した。

電話などでのお問い合わせは遠慮願うとのこと。



坂巻哲也さんのサクセスストーリーとは?


坂巻哲也さんは
美のプロフェッショナルとして多方面で活躍

坂巻氏は1962年12月16日生まれで、千葉県出身なそうだ。

1998年、原宿にapishの1号店をオープン。現在はサブブランドのJENO2店をあわせて11店舗となっている。

美容師のウデだけでなく、経営の力が凄かったのでしょう。当然コミュニケーション力も抜群だったはずです。

そして、何と言っても坂巻哲也さんといえば
ビューティーコロシアムです。


2001年10月に放送開始した『B.C.ビューティー・コロシアム』(フジテレビ)では、“美のプロフェッショナル”として出演。サロンワーク、セミナー、クリエイティブと活躍の幅は広く、YouTubeやテレビ通販番組など新しいものに常に挑戦し続けた。


昨年、新たなかたちで蘇ったシザーズリーグにも審査員として参加。美容業界を盛り上げ、後進が希望を持てるようにしたいと話していた。



坂巻哲也さんは

1982年、パリー美容専門学校(現・パリ総合美容専門学校)卒業。1998年に原宿に美容院、株式会社apish(アピッシュ)を開業、代表を務めた。
フジテレビ系列のB.C. ビューティー・コロシアムでは美のプロフェッショナルとして出演した。 2024年3月29日、死去した。


ご冥福をお祈りします。



坂巻哲也さんはカリスマとして生涯現役に近い形で一生を終えたわけですが、おそらく単純なものではなかったはずです。


カリスマ美容師のブームによって多くのカリスマ美容師が注目されたが、無資格の美容師がいて問題になった事もあり、その影響もあったかもしれないですし、リーマン・ショックによる大不況、東日本大震災、コロナ禍ショック。。
なとなど困難はあったはずです。

1000円カットの台頭も少なからず美容室に影響はあったかもしれませんね。


それらの困難を乗り越えたのだから凄い人だというのは想像できます。


この先、様々な困難がどんな人にも訪れると思いますが、くじけないで坂巻哲也さんのように力いっぱい生きたいですね。