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Dj koo小室哲哉をBIG RESPECT

TRF」のDJ KOO(60)が17日放送の読売テレビ「八方・陣内・方正の黄金列伝」(後4・30)にゲスト出演した。
DJ KOOさんと言えば数々のバラエティーで活躍しているがDJの腕は一流!!

ファンキーなイズムは佇まいからもわかる。


DJ KOOは小室哲哉を恩人と口にしている。

そんな音楽プロデューサーの小室哲哉(62)からDJ KOOへの手紙を送られて、感動する場面があった。


TRFのプロデューサーは小室哲哉
サバイバルダンスの勢いは忘れもしない。

 
 DJ KOOが小室と出会ったのは、DJの仕事が減って引退を考えていた31歳の時だったという。


友人の紹介で、小室のイベントのDJを担当したことが、人生の転機となったらしい。


小室のスタジオに挨拶に訪れて、「スタジオのシンセサイザーとか、レコーディング環境が、僕が今まで見てきたものと遥かに違った。凄かったです」と衝撃を受けたという。

それまでのDJ KOOは洋楽を中心に扱っていたため、「日本のポップスの人」と感じていた小室は“別世界”のイメージだったというが、一瞬で心変わりしたという。


日本のポップスの一線で活躍はしていたが、レベルはハッキリいって世界規模!


細やかな曲に繊細な展開は唯一無二だった。





DJ KOOは
「小室さんのたたずまいが…。オーラというか、時が止まったみたいに見えて、一発でのされた」と、しみじみと振り返った。


 その日から半年間は毎日、小室のスタジオに通ったという。そんな日々を振り返って、番組では小室からDJ KOOに手紙が。


小室は「マネジャー以上に僕と一緒に…というか、どこにでも付いてきてくれて、楽しい思い出しかありません」と回顧。


「彼が女性だったら奥さんにしたいぐらい、僕にとっては本当に優しい人でした」と最大級の賛辞を送られた。


 DJ KOOは突然の手紙に感謝し、「その頃の小室さんは、全てがうまくいってるんだろうな、と周りの方は思ったと思いますけど、1分1秒、命を削って音楽をつくっていらした」と明かす。




その上で「そういうところをご一緒させていただいて、そこを楽しかったと言っていただいて、グッときました」と感動の面持ちだった。



小室哲哉は魂の楽曲を作っていた。

素早い曲の仕上がりにインスタント楽曲などと揶揄されがちだったが、素晴らしい楽曲が多い。


DJ KOOは一見ふざけて見えるが、全てにおいて全力だ、事音楽に関していえば超一流。

若手のラッパーに突然MC BATTLEを挑まれても、全く臆する事なく、むしろ煽って煽って、ギブアップさせてしまうくらいの迫力があった。


そんなDJ KOOさんはリスペクトですね。
そのコーさんがリスペクトする小室哲哉は更にリスペクトですね。


ところでDJ KOOは 19歳でDJの道に入り、人気DJになった。


28歳の時には、4歳年下で元銀行員の女性と5年間の交際を経て結婚した。  


しかし、結婚直後、30歳を前に、バブルがはじけ、ディスコでの仕事をクビに。

食べていくことができず、埼玉の実家で新婚の妻と一緒に暮らした。当時、母親は他界しており、父親は1人暮らし。レンタカーの会社を経営していた。


 KOOは日雇いの清掃業をしながら、少ないDJの仕事を見つける暮らしだったという。  


その数年後に小室哲哉と出会い、1992年にTRFを結成。すぐに大ブレークしたが、35歳の時に父親が死去。「実家に久々に帰ってお葬式も済ませてみたら、お恥ずかしい話なんですが、(父親が)競馬にはまって、あちこちから借金を。レンタカー屋の従業員にも給料が滞ってて」。



売れっ子になった1人息子にお金の頼み事をすることなく、借金だけが残っていたという。  KOOは「1人できっとずっとやることなくて、競馬に走ってて…1人だから歯止めがきかなくなっちゃってて、そんな思いをして死んじゃったのかな、と思うと…」と振り返った。  


悲しみから3年後の38歳の時、結婚から10年で娘が誕生。「(娘が生まれて)親になる、ってことで、常識人にならないといけない!と。最初に始めたのが赤信号を渡らない、でした」と苦笑したようです。