大相撲初場所・3日目で大きな一歩が踏み込まれた。
伝統ある両国国技館。何年も何年もこの場所で相撲を取り続けた力士達が作り出す空気感は国技館しか出せない。
儚い夢で散った力士もいるだろう。輝かしい成績を残した力士もいる。
相撲がすきで好きで何度も観戦をしに行ってる相撲ファンもいただろう。相撲の大ファンだが国技館には1回しか行けなかった人もいるはずだ、まぁむしろ一回でも行ければ良いかもしれないが、、様々な思いが両国国技館にはある。
両国国技館に近づけばただならぬオーラ、空気を感じるはずだ。相撲は日本の国技であり、力士はラストサムライ(サムライの生き残り)だと思っている。
素晴らしい文化であり国技である。
そんな素晴らしい相撲を盛り上げた立役者の1人が
1940年(昭和15年)5月29日 生まれで
2013年(平成25年)1月19日に亡くなっている。
北海道川上郡弟子屈町(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)出身の元大相撲力士。
第48代横綱。本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、出生名はイヴァーン・ボリシコ。一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。
昭和といえば大鵬といっても過言ではない。
そんな大横綱の孫が歴史的一歩を踏んだ。
立ち合い頭で当たり、左をこじ入れて前へ出ると、のけ反ってこらえる貴源治を力で寄り切った。
自分のスタイルと貫き、決して後ろに下がらず手にした記念の白星。「最初から攻め続けたからよかった。(十両初白星は)とりあえずよかったです」と喜びを口にした。
流血してもひるまない!↓王鵬
大きな注目を浴びる中、新十両場所は初日から2連敗スタート。
サラブレッドであり、注目は集まるので重圧もあったのだろう。
更に幕下時代にはなかった土俵入りや土俵に上がる時間の違いに戸惑ったのも原因で「初日からの2日間は早くアップしすぎて体が冷えて状態で上がってしまった。今日はちょうどいいところで上がれた。やっと合ってきた感じ。前の2日間があったからこそです」と冷静に振り返った。
切れ味鋭い左四つからの相撲で観衆を沸かせた祖父と違い、持ち味は突き押しだが、体に流れるDNAはしっかりと引き継いでいる。「明日からも自分が得意な前へ出る相撲を取れたらいい」。角界期待のサラブレッドがいよいよ偉大な祖父の背中を追い始める。
はっきりと言って、現在の相撲は人気が低迷している。
真っ向勝負のスター力士が不在なのが残念。
そんな中で期待してしまうのが王鵬だ。
頑張って欲しい!
優勝争いに食い込んで欲しいが、、さすがにそんなに甘くはない、とにかく一番一番を大事にがんばれ!!