ギャンブル好き、天然キャラで有名の漫画家、蛭子能収
現在は軽度の認知症と認定されてしまったようだ!
蛭子は「主治医が見つかる診療所2時間スペシャル」に出演した際。
認知症治療の専門病院を受診した。
病院での検査では簡単な計算ができず、検査に付き添った妻の「洗濯カゴの中の衣類を見て私が倒れていると思って叫んだりする」という発言などから物忘れや幻視などの症状があることが判明。
レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症と診断された。
蛭子さんは「(仕事を)できなくなったらしょうがないけど、できる間はずっと続けていきたい」とコメント。ネット上では「ボケるにはまだ早い年齢」「もうテレビで見ることもなくなっちゃうのか」「きつい。幻覚・幻視の影響で暴力的になるタイプのアルツハイマーだから」というショックの声が上がった。
蛭子能収さんのホルマリン漬けエピソードは有名だ。
サイコパスな言動も数多く残しているし、元々思考回路がぶっ飛んでるのでまとめていきたい
蛭子能収さんは長崎県長崎市にて3人兄弟の末っ子として生まれ育つ
学生時代にはいじめられたり、就職した看板屋では執拗に怒鳴りつける先輩に耐えることもあったという。
その不満や怒りを漫画で解消した、
いじめてきた相手や、先輩を殺す漫画などを描いており、漫画に不満をぶつけていたという。
実は蛭子能収はかなりのハードコアな漫画家だ。
ポップでシュールなイメージはあるが、ハードコアだ。
1973年8月号にて漫画ガロでデビュー。
ガロに入選するのは夢だったから、この時の喜びが今までの人生の中で一番嬉しかったという。
入選の通知を開けて狭い六畳のアパートで女房と一緒に飛び上がって喜んだ。
と振り返っている、ちなみに妻と結婚した理由はにゃほにゃほがしたかったから。
1974年3月号掲載漫画の「仕事風景」は看板屋時代の先輩を丸す内容というハードコア
1981年には本格的に会社を辞め、漫画家として独立。
1980年代中ごろ、劇団東京乾電池の座長である柄本明さんより劇団のポスターを依頼された。
その後には劇団東京乾電池の講演にも出演したことがキッカケで芸能界への道に、
スーパージョッキーなどでは熱湯風呂に入るなど体もはった。
1987年「笑っていいとも!」に出演する。文化人枠でのレギュラーだったがいじられ役に。
2003年「諌山節考」という短編映画の監督も務めている。
2016年「任侠野郎」という長編映画初主演も務めてる。
マルチに活躍される蛭子能収さんの私生活はというと…最初の奥さまとの間にお子さんが2人。
残念ながら2001年に死別されており、2007年19歳も年下の女性と再婚、、何気に凄いな
ホルマリン漬け赤ちゃんとは?
ある方が蛭子能収さんに「うちの子どもを見に来ませんか?」と誘われついて行った場所は自宅ではなく、病院の研究室だった、そこで見せられたのは「ホルマリン漬けにされた奇形の胎児」だった。
「これが最初の子どもなんですよ」とにやにやと笑いながら見せたそう。
蛭子能収さんは避妊をせずに奥さまとセ○クス(にゃほにゃほ)するそうで、もし仮に子どもが出来た場合は堕胎するそうだ。
そしてできた子どもに障害が見つかった為、お医者さまより「標本にして欲しい」と懇願され、喜んで引き受けたというのが噂の「ホルマリン漬け」。
これは嘘臭い話しだが、、真相はわからない。ちょっとした都市伝説かな、、。?
「人が死ぬと楽しい。つい笑っちゃう!」
「あれ全部腐ってたら面白いね」難民キャンプでの食糧配給の映像を見たときに笑いながら言った不謹慎発言
「障害児じゃなかったですか?」お子さんを出産されたばかりの方への質問
「お前なんか死んでしまえ!」息子さんへの発言。
「奥さんと別れたんですか?」死別された岸部シローさんへの質問
「人殺しのくせに…」交通事故で被害者を死なせてしまった大竹まことさんへの暴言
今だったら炎上必至で下手したら芸能界追放レベル!、
どれもこれも「嘘でしょ?!」と思う信じられない発言ばかりだが、たしかに言ったようだ。
まあ
このような漫画、描写をするぶっ飛んだ発想なので
少し感覚がズレてるんだろう。
天才とはこういう人だ
蛭子能収のハードコアな漫画描写は検索すればでてくる。