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マツモトキヨシ社長、創業者の仰天エピソードがヤバい

マツモトキヨシの社長が凄い!!

マツモトキヨシの社長はマツモトキヨシなんだろうな、、と思ったら創業者でした!

松本清さんは
1973年に亡くなられています。

松本 清(まつもと きよし)現在のマツモトキヨシの創業者にあたる。

生まれは1909年(明治42年)4月24日 
もう101年前です。

亡くなられたのは1973年(昭和48年)5月21日)です。

松本清さんは千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市)出身です。



小金町議会議員、千葉県議会議員松戸市長を歴任する政治家先生でもあったようです!!


松本清は小学生の頃に県議会議員を初めて目にして、その県議会議員の威風堂々とした風貌、雰囲気に圧倒されて家に帰ってから母親に「大きくなったら県議会議員になりたい」と言ったところ、母親から「バカを言っているんじゃない」とこっぴどく説教をされたという、、しかし、第二次世界大戦後松本が県議会議員になったと知った母親はただただ驚いたという。

そんなマツモトキヨシの創業者
松本清の仰天エピソードかあった。



松本清の仰天エピソード2


すぐやる課を設置!!


マツモトキヨシの創業者松本清
第9代松戸市長になった!

もはやそれだけで、武勇伝であり仰天エピソードだ。


市長在任中の1969年10月6日に「市役所は『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。
全国的に報道された。


インパクト大!!


マツモトキヨシ創業者の仰天エピソード3


選挙と景品

市長在職時、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、松本は、投票整理券の整理番号を用いてくじを実施しようと考え、当時公職選挙法を管轄していた自治省に問い合わせをしたが、自治省からは控えるよう回答された。



しかし、くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、昭和44年12月の総選挙で「投票でカラーテレビを当てましょう」というキャッチフレーズと共にその案を実施した。

景品はカラーテレビ、洗濯機、掃除機等でその金額は100万円を超えた。



これ、、良いのか?(笑)よくわからないがとにかく凄い






マツモトキヨシ
現在の「株式会社マツモトキヨシ」は、松本の逝去後、長男の松本和那(後に衆議院議員)により「有限会社マツモトキヨシ薬店」から1975年に改組。


V-現在の「株式会社マツモトキヨシホールディングス」の会長は松本の次男で薬剤師の松本南海雄(日本チェーンドラッグストア協会初代会長)、社長および「株式会社マツモトキヨシ」相談役は松本の孫の松本清雄が務めている。三男の松本鉄男も取締役である。



松本和那はこんな名言を残している
ダイエーのように土地を買い、百貨店並みの品揃えをできるような力はない。  

自分の身の丈に合った経営は何かと考えたとき、地域に根差し、手を広げずに特価主義ていくしかないと思ったんです。

時間はかかったけれど、結果的に堪え性があったからこそ現在のマツモトキヨシがあるんでしょうね。」

と。




創業者の松本清も凄いが株式会社マツモトキヨシホールディングスにした松本清の息子松本和那も凄い
松本和那県議会議員で政治家であり、マツモトキヨシ社長という二足のわらじというエピソードの持ち主だ。



成功者家族である。